ぼくたちに恐怖がなかったとしたら、
だれもが、もっともっとアグレッシブに人生を攻められるような気がする。
ぼくたちの多くがやりたいことや夢をいつの頃からかあきめてしまうのは、「恐怖」からだ。
こんなことをしてて、将来大丈夫なのか?
こんなことをして、あの人や世間に何か言われないか?
etc…
そんないろんな「恐怖」がぼくたちのストッパーとなって行く手を阻んでいる。
ぼくもその「恐怖」によって、いろんなことをあきらめてきたように思う。
でも、ぼくは2011年の秋、アメリカでちょっと変わった体験をした。
それは、、、
「恐怖は味方かもしれない」という体験だった。
何も決まってないけど、決まっていたアメリカの旅へ。
2011年秋、ぼくは仲間6人と一緒にアメリカを3週間、旅した。
ぼくの人生に大きな風を送り込んだ最高の旅だった。
3週間もの時間がありながら、その旅で決まってたのは、「レンタカーを借りる。バシャールに会う。セドナに行く。」だけ。
ほとんどノープランだった。
毎日、インスピレーションに従って車を走らせ、その日その日を楽しんだ。
そんな自由気ままな旅の途中、ある日たどりついた「ホースシューベンド」という場所で、その体験をした。
そこは今までの人生で一度きりも見たことがないような壮大な景色であり、今までの人生で一番、危険な場所だった。
アメリカにはゴロゴロある景色だけど、日本にはこんな景色あるとは思えない。
「切り立った崖ってこんな場所のことを言うんだろうなぁ」という崖。
落ちたら100%死。なのに、まったく柵がない。
さすが自由の国。アメリカだ。
「死ぬも生きるもあんたの自由。あたしゃ知らないよ。」と。
そんな恐ろしい場所で、ぼくの仲間はこんなことをした。
↓
↓動画※音が出ます。
離れた場所から見ているだけで、ぼくはちびりそうだった。
強風でも吹けば、一瞬にして命が吹き飛びそうな行為だった。
「なにやってんだ!!!!死にたいのか!!おまえら!!」と心の中でつぶやいていたら、ぼくの中で、悪魔だか天使だかがささやいた。
『おまえさんもやりたいんじゃないのか?』
とんでもない声を聞いてしまった。
でも、こういう声を聞いてしまうと、どうしてもやってみたくなるぼく。
「恐怖」を抱えながら、へっぴり腰で、崖の先へと恐る恐る歩いた。
「足がすくむ」ってこういうことだ。本当に足ってすくむんだ。
なんとか崖の先にたどりついて、瞑想するような格好であぐらをかいた。
人生で一番死に近い場所に立ちながら、感じたこと。
もう目の前は奈落の底。目の前は「死」だった。
そのとき、からだの全身の細胞の「そんざい」を強烈に感じた。
ぼくの大好きなバガボンドという漫画の中で、「全身があわだつ」という表現があったけど、まさにそんな感じだった。
まさに、ぼくの全身の細胞が「あわだって」いた。
普段からここにあって、1年中ぼくとともにあるのに今までまったく感じていなかったその存在感。
なべの中で沸騰したお湯みたいに、ふつふつとした躍動感、エネルギー。
それにぼくは浸った。
そのエネルギーは「恐怖」という言葉を使えば、たしかに「恐怖」だった。
しかし、普段抱いてる「恐怖」のイメージ(消極的で、マイナスで、自分の敵のようなイメージ)とは大きく異なっていた。
死に一番近いその場所に座り、ぼくが全身の細胞から感じたのは、積極的で、強く燃えさかる「純粋なるパワー」だった。
あえて言葉をつけるなら、
「生きたい。」
「生きたい。」
という叫びだった。
それは、「ぼくのからだすべて」からの叫びだった。
「そうか。恐怖は、ぼくを生かしているんだ。」
変な話だけど、
これまでの人生で一番死に近い場所に立ちながら、
これまでの人生で一番、「生」を感じていた。
「生きている。」
「生きている。」
「生きている。」
恐怖とは、味方であり、「愛」なのかもしれない。
恐怖という名前をつけると、それはおそろしいものにおもえるけど、
ぼくが死の淵で感じた”それ”は、まぎれもなく自分を生かそうとする「純粋なパワー」だった。
「生きたい。」「生きたい。」という「生きるチカラ」だ。
恐怖とは、味方であり、「愛」なのかもしれない。
もちろんその体験以降のぼくにも、まだまだ恐怖ある。
恐怖が「生きるチカラ」である以上、生きてるうちは、ぼくから恐怖が消えることはないだろう。
でも、それからのぼくは、恐怖にたいして、いくらか寛容になった。
恐怖がぼくを「生かすパワー」であり、「愛」だという可能性を知ったから。
またあんな旅をしたいな。
バシャールにも会って話ができたんだけど、そのことはまた今度。
LOVE IS FREE ~あったかオモシロい世界~
にっくん。