どれだけ頑張ってもうまくいかなかった20代前半。
ぼくは、大きな大きなおおーーきな思い違いをしていた。
それは、ズバリ、これだ。
昔は、
世界がじぶんを楽しませてくれるんだと思ってた。
逆だった。
じぶんが世界を楽しむんだ。
— にっくん(大西伸哉) (@shimanikun) 2016年6月2日
もっと正確に言うと、20代前半のぼくは、
”じぶん以外の何かやだれか”に、 幸せにしてもらおうと思ってた。自由にしてもらおうと思ってた。
当時のぼくは、”じぶん以外の何かやだれか”という部分には、「お金」や「理想の仕事」や「理想のパートナー」や「夢が叶ったら」や「成功」というのを入れていた。
いま、ふりかえると、当時のぼくはやる気マンマンですっごく頑張ってはいたけれど、肝心の”動機”がこうだった。
「たくさんのお金に幸せ(自由)にしてもらおう。」
「理想の仕事に幸せ(自由)にしてもらおう。」
「成功に幸せ(自由)にしてもらおう。」
”じぶん以外の何かやだれか”に、 幸せにしてもらおうと思ってた。自由にしてもらおうと思ってた。
結果、お金さんも、理想の仕事さんも、成功さんもやってきてはくれなかった。
当時のぼくは、ほんとうにスーパー努力家さんだった。
朝から夕方までは、派遣会社でみっちり仕事。
夕方から副業のビジネスの成功に向けて必死で動いて、夜中1時とか2時に帰宅。
そしてまた翌朝、出勤。
土日もだれとも遊ぶことなく、副業のビジネスを成功させるべく動きまくっていた。
にもかかわらず、結果として、こんな感じになった。
お金も友達も自信もすっからかん。の”ないない”尽くしだった。
「こんなじぶんなんて生きてる価値がない。」そんなことを思いながら、1ルームの部屋の片隅でマジでこのウサギみたいになってた。
そのあと、いろんな出会いや経験を経て、
”ないない尽くし”から”あるある尽くし”のいまのぼくになったんだけど、
変化の要因のひとつが、冒頭に書いた「これ」だ。
昔は、
世界がじぶんを楽しませてくれるんだと思ってた。
逆だった。
じぶんが世界を楽しむんだ。
— にっくん(大西伸哉) (@shimanikun) 2016年6月2日
“じぶん”を幸せ(自由)にするのは、じぶん以外の何かやだれか”
ではなく
“じぶん”を幸せ(自由)にするのは、”じぶん”。
そんな当たり前のことに気づいてから、ぼくの人生はずいぶん変わったんだ。
じぶんの人生の主導権を、
お金や成功や理想の●●に委ねなくてもいい。
お金や成功や理想の●●は、幸せ(自由)の必須条件ではなく、
いち要素でしかない。
お金がなくても、成功していなくても、理想の●●がなくても、
じぶんは幸せ(自由)を生きるんだ。
そう決めたとき、無限の可能性の扉はひらき、
じんせいはもっと楽しくなる。
じぶんを幸せにするのはじぶん。
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にっくん@沖縄
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