先月からオンラインcocoro会のメンバーさんに向けて「cocoroテレフォン」というサービスを始めたんだけど、とっても好評。みんながリアルに「日々思ってることやほんとうに聞きたいこと」がわかって、こちらもとってもうれしい楽しいです♪
そのcocoroテレフォンで、先日、ある人から「大切な人のことが信じられないんです。」という相談を受けました。
同じような人もいるかもしれないので、ぼくが思うことを書いてみますね♪
1.信じられる人だから信じるのか、信じたいから信じるのか。
ぼくたちは、放っておくと、ものごとの責任を他人や環境に転嫁する生き物。
『じぶんがあの人を信じられない』という事態は、『あの人が悪いから』『あの人が信じるに値しない言動をするからだ』となりがちです。
でも、ほんとうにそうだろうか?信じる信じないは、あの人のせいなのでしょうか?
ぼくは、
『だれかを信じるか信じないか』という決定権は、
その人に対しての評価からうまれるのでなく、
じぶんで選ぶものだと思う。
こんな人だから信じられる。よりも
こんな人だけど信じたいんだ。という風に
じぶんで選ぶものだと思う。
— にっくん(大西伸哉) (@shimanikun) 2016年9月1日
じぶんで選んで信じてみたものの、実際には、裏切られるようなこともあるかもしれません。でも、そんなときでも、じぶんで選んでいれば、傷つかないんですね。
じぶんで選んだ時には、ぼくたちは、『あの人がわたしを傷つけた。』とは思いません。『あの人は、そんな人なんだ。』と自然に流すことができます。そして、またそこから、『じゃあ今後あの人とどう付き合おうか』とじぶんで選ぶことができます。
わかりやすく言うと、ケーキ屋さんでじぶんで『これ!絶対おいしいっしょ』と思って選んだケーキに裏切られても傷つかないのとおなじ。
だれも『あのケーキめ~。あたしを裏切ったわね~。恨んでやる!!』とはなりません。『あ~。そうか~。これはこんな味なのね。次からは、ガトーショコラにしよう。』と思えます。
逆に言うと、傷つけられた、裏切られたと感じたときは、『信じる信じない』の選択を相手に委ねていたんだなぁと気づいてじぶんに軸を戻すチャンスとも言えますね。
じぶんでえらんだときは、ひとは傷つきません。
自己責任で生きるとは、重たい生き方のようだけど、
実は、背中に羽が生えたようなとても軽くて自由な生き方だ。
「ものごとをじぶんで選んでいる」という責任や自覚があるひとは、
「ものごとをじぶんで選んでいる」という自由な感覚も同時に得られるから。
— にっくん(大西伸哉) (@shimanikun) 2016年9月1日
ちなみに、ぼくはおいしい飲食店を開拓するのが好きです。気になる店には飛び込んでみるんだけど、基本的にはハズレても落ち込んだりせず「あ~この店はこんな味なのね。」で終わります。
しかし、ラーメン屋さんだけはそうはいきません。じぶんの好みじゃないラーメン口に合わないラーメンに出会うと「しまった。失敗した。看板のおいしそうな見かけに騙されてしまった。」と後悔したり傷ついたりします。ぼくもまだまだ修行が足りないです。w
基本的におおらかなぼくだけど、ラーメンにだけはうるさいのです。w
2.じぶんを信じること。
もうひとつシェアしたいのは、これです。↓
他人のことが信じられない時って、
実は、
じぶんのことが信じられない時。
じぶんの素直な気持ちを抑えていると、
じぶんのことが信じられなくなる。
そんな時、僕たちは、
他人のことも信じられなくなる。
まず、じぶん。
— にっくん(大西伸哉) (@shimanikun) 2016年8月28日
ほんとうは嫌なのに、嫌とは言わずに受け入れたり、ほんとうはやりたいのに他人の目を気にしてやらなかったり、じぶんでじぶんの気持ちを裏切っていると、じぶんに対する信用がなくなってきます。
その状態のことをぼくたちは、「じぶんに自信がない。」と言っているんですね。
じぶんに対する信用がないときに、他人を信用しようとしてもできないのは当然のことだと思います。
他人を信用しようとしているじぶんを信用できないのですから。
だから、そんなときは、まず、じぶんに対するじぶんの信用を取り戻すこと。そのためには、「じぶんの素直な気持ちによりそうこと」。
「あ~わたし、コレをやりたくないんだ。」「ほんとうはアレをやってみたいんだ。」「コレが好き。」「アレが嫌い。」じぶんの素直な気持ちを知って認めてあげること。
もちろん、仕事や家庭や人間関係においては、周りのことを考えると、素直な気持ちの通りに動けないこともあるかもしれません。でも、そんなときでも「わたしはこう思ってるんだ。」という気持ちを否定せず、認めてあげることがたいせつだと感じています。
結局、あらゆる物事と同じで、「信じるか信じないか」の種は、じぶんの中にある。
ぼくたちは、いつだってじぶんで選ぶことができます。『あの人のせいだ』というスタンスで生きるのか『じぶんでえらんでいる』というスタンスで生きるのか選ぶことができます。
信じるって、
相手との約束じゃなくて、
じぶんとの約束だ。
— にっくん(大西伸哉) (@shimanikun) 2016年9月1日
じぶんでえらんでいるという自覚をもつほど、人生は自由になります。
ちなみに今回、cocoroテレフォンでこの相談をくれたUちゃんは、電話でお話ししてとてもスッキリしてくれてみたいで、電話の最後に「小躍りしたい気分です。」と言ってくれました。
やっぱり誰かがうれしいとぼくもうれしい。
人間って、本来、やさしく生きられるようにできてるんですね。
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9月22日(木・祝)大阪・梅田にて「ホントのワタシに気づくお茶会♪」を開催します♪
じぶんを大切にして、じぶんらしく人生を楽しみたい方にオススメのお茶会です♪
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※残り1席
大阪には、ぼくの行きつけの大好きなとんこつラーメン屋があります。
ぼくは、あのとんこつラーメン屋を信じてます。
たまに、店長の機嫌がわるい日があって、そんな日は、スタッフさんたちの空気が落ちて、味が落ちる。w
それでも、ぼくは、あのとんこつラーメン屋を信じてます。
にっくん。