じぶんらしさの王様。

l201110092000

 

現代、多くの人が”じぶんらしさ”や”じぶんらしいじんせい”というものを探している。

 

これは悪いことではなく、いよいよみんなが気づいたのだ。

”お?どうやら今の時代は、じぶんらしさを発揮してもいい時代だぞ。”と気づいたのだ。

 

そこで問いがうまれた。

『じぶんらしさとはなんぞや???』という問いだ。

 

しかし、この問いをつきつめると、どうしても悩みの渦に放り込まれる。

あの人のじぶんらしさとわたしのじぶんらしさは違うし、

答えがあるようで無いし、無いようで無限にあるからだ。

 

今,ぼくが出している結論は、

“じぶんらしさとは探すものではなく、すでにそこにあるもの”だ。

すでにそこにあるから、それをそのまま見せればいいのだ。

 

それをそのまま見せている人のことを世間は、

『あの人はとてもじぶんらしく生きている。』と感じる。

そして、そんな人のようにじぶんも生きたいように感じるのだ。

 

しかし、

『持ってるものをそのまま見せる。』

それがなんとも難しい。

 

ついつい必要以上に盛ってしまうか、必要以上に減らしてしまう。

必要以上に輝かせてしまったり、必要以上に汚く見せてしまったりする。

 

 

『持ってるものをそのまま見せること。』

ぼくは最近、毎日、そのことばかり考えていてそこにたどりつきたいと思ってる。

 

猫や赤ん坊はそればっかりしている。

何も持たない、何も考えない彼らこそじぶんらしさの王様だ。

 

 

にっくん@沖縄


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