現代、多くの人が”じぶんらしさ”や”じぶんらしいじんせい”というものを探している。
これは悪いことではなく、いよいよみんなが気づいたのだ。
”お?どうやら今の時代は、じぶんらしさを発揮してもいい時代だぞ。”と気づいたのだ。
そこで問いがうまれた。
『じぶんらしさとはなんぞや???』という問いだ。
しかし、この問いをつきつめると、どうしても悩みの渦に放り込まれる。
あの人のじぶんらしさとわたしのじぶんらしさは違うし、
答えがあるようで無いし、無いようで無限にあるからだ。
今,ぼくが出している結論は、
“じぶんらしさとは探すものではなく、すでにそこにあるもの”だ。
すでにそこにあるから、それをそのまま見せればいいのだ。
それをそのまま見せている人のことを世間は、
『あの人はとてもじぶんらしく生きている。』と感じる。
そして、そんな人のようにじぶんも生きたいように感じるのだ。
しかし、
『持ってるものをそのまま見せる。』
それがなんとも難しい。
ついつい必要以上に盛ってしまうか、必要以上に減らしてしまう。
必要以上に輝かせてしまったり、必要以上に汚く見せてしまったりする。
『持ってるものをそのまま見せること。』
ぼくは最近、毎日、そのことばかり考えていてそこにたどりつきたいと思ってる。
猫や赤ん坊はそればっかりしている。
何も持たない、何も考えない彼らこそじぶんらしさの王様だ。
にっくん@沖縄