昨日は、33歳の誕生日でした。
たくさんのお祝いメッセージをいただきました。
愛や祝福の想いが届いて、すごく幸せに気持ちになりました。
ありがとうございます。
誕生日になると、毎年思うのが、おじいちゃんのこと。
実は、、、
ぼくとじいちゃんは誕生日がおなじ。
11月21日なんですね。
もうおじいちゃんは亡くなってしまったんだけど、
いつも毎年、一緒にひとつ年をとってきました。
さかのぼること、71年。
戦時中の話です。
おじいちゃんは、日本兵として
中国大陸で戦った後、今、僕が住んでいる沖縄に送られました。
第二次大戦における最激戦地のひとつとなった『沖縄戦』。
沖縄での両軍及び民間人を合わせた戦没者は、20万人ともいわれています。
そんな沖縄戦にじいちゃんは参戦していました。
じいちゃんは、その当時のことを
後世に伝えて平和な社会にしようと思って、手記を残してるんですね。
『●月▲日 今日は、識名の防空壕に移動してきた。・・・・』
くらいのノリで1日1日事細かに記してくれてます。
目の前で友達の体の一部が銃弾によってふっとばされるとか
とんでもない話まですごくリアルに書かれてます。
あまりにもリアルでグロテスクなので詳細は書きませんが。
その手記の中で印象に残ってるのがこんな話。
↓
ある日、じいちゃんは熱を出してしまったそうです。
他の兵隊さんたちと一緒に、ある壕の中にいました。
壕にいても決して安全ではありませんから、毎晩、外に見張りを立てていたそうです。
その夜の見張りの当番は、じいちゃんでした。
しかし、熱を出してフラフラのじいちゃんを
見かねた同じ隊のAさんが、じいちゃんにこう告げます。
『大西。お前は熱があるから休んでおけ。おれが代わりにたつ。』
そうして、代わりにAさんがその日、見張りに立ちました。
その夜、その壕の外は米軍の砲撃を受けることになります。
そして、、、
Aさんは亡くなってしまうのです。
・・・
・・・
・・・
そんな生死の狭間を数限りなく超え、
じいちゃんは戦地から家に帰り着きました。
そして、子が生まれ、孫が生まれ、
ぼくと一緒に年をとることになりました。
あの日のことをじいちゃんは『ツイてた。』と思ったでしょうか?
もちろんNOです。
じいちゃんの手記にはこんな言葉が記されています。
『数限りない同胞達が目の前で息絶えていく中で自分は生き残ってしまった。申し訳ないような気持ちでいっぱいだ。』
そして、、、手記の結びに、こう記しています。
『私は中国大陸において又、沖縄において
幾度か生死の境をさまよい、
戦友の死を数限りなく目の当たりにし、
人生というものは
あまりにはかないものであることをつくづくと感じた。
生も死も紙一重。
それらは総てが運命によって左右させられ、
われわれの力では測り知れぬ運命の導き、
俗に言う目に見えない運命の糸に
あやつられているように思えてならない。』
●
ぼくの命はそうやって、
じいちゃんから親父、ぼくへと運ばれてきました。
あなたの命もそう。
運命によって、ここまで運ばれてきた命。
沖縄には、『命どぅ宝(ぬちどぅたから)』という言葉があります。
『命は宝物』という意味です。
あなたの命もぼくの命も宝物です。
世界中、どこを探しても見つからない宝物を
どれだけ沢山のお金や犠牲を払っても手に入らない宝物を
ぼくたちは、今日も与えられてる。
“いま、ここで生きている”
“いま、わたしがここにいる”
ただ、それだけのことをぼくたちは、
もっともっと誇っていいと思うんですね。
お互い、今日も生きていた。
だから、こうしてここで触れ合えることができました。
『生きててくれてありがとう。』
にっくん
●追伸:
『わたしはわたしで良かった。』
『生きてて良かった。』
『生きてるって楽しいな〜』
そう言えるような人生がどんどん増えたらいいな。
そんな想いで、2009年からブログや詩やアートで発信し続けてきました。
でも、それらは、ほとんどネット上にしかないんですね。
いま、思ってるのは、
『いままで創り出してきた詩やことばたちをもっとみんなの手に触れられるものにしたいなぁ。』
ということ。
その第1弾、にっくんの詩集をただいま製作中です。
また進捗を報告しますね♪
あなたのそばで、あなたを元気にしてくれる詩集になりますように。
にっくん♪